「西表実習感想文」

聖マリアンナ医大 

 

 5年生の夏休みに、西表島にいらした高良先生のもとを訪れた。8日間という実習の日々が不思議に離島医になる運命を手繰り寄せ、6年生になった今も変わらぬ思いのまま勉強を続けている。離島医療をすると決めてから見る教科書は、疾患の並んだ本ではなく、病気に苦しむ老若男女が次々に新米の私を訪れる診療所の外来となった。 実習は、新しい考え方を得るチャンスの宝庫である。私も実習行こうかなと思うきっかけになれば、という思いを込めて、去年実習後に書いた日記の一部を紹介したいと思う。

 

8/13(月)

 羽田から那覇、那覇から石垣島へ飛行機を乗り継ぎ、さらにフェリーに乗ってこの夏の自分を懸けている西表島に着いた。ブーゲンビリアとハイビスカスが青い空に鮮やかだ。

 診療所につくと、「今処置中だから、おいで」と柔らかな声がかかり、白い間仕切りの上からひょこっと先生の顔がのぞいた。汗だくだったので遠慮しながら覗き込むと、先生は老人ホームのおじいさんのお尻を切開しているところだった。うーんこれはかなりひろいなぁと呟く先生の手元を見ながら、一人で医療をやるというのは、こうして一つずつ判断を積み重ねることなんだと思った。

 四畳半の宿は、窓を開けると海が見える。遠くから三味線に合わせて歌う誰かの声がする。

8/14(火)

 午前中先生の外来を見させていただいた。看護婦さんの「ゆりおばぁ、いつも元気なおばぁが、どうしたの」とか「島田のおじさん、薬ね」と呼ぶ声に、くすぐったい笑いが胸に広がった。そうか皆知り合いなんだなぁと実感した。

 午後は小型船に乗って西表島の北にある鳩間島へ巡回診療についていかせていただいた。診療は基本的に月1回と聞いて、継続的な医療がない地域があるということ、それを知らないままここまできたことに驚いた。船がつくと、島内放送がかかって三々五々人が集まってくる。「暑いですねぇ」と声をかけつつ診察するうちに先生も患者さんも汗だくであった。集会所を出ると、人々が木陰で昼寝をしていた。一緒に船に乗ってきた保健婦さんは「いいなぁ、私はこんなところに住みたい」と言った。

8/15(水)

午前中に外来を見せていただいた。外来は、午前中で15人前後いらっしゃる。その一人一人を丁寧に診て、聴いて、お話する。地元に住んで慢性疾患をフォローされている方もいれば、急な子供の発熱や腹痛もあれば、観光客が珊瑚で足を切ったりくらげに刺されたりしてくることもある。これは大変な能力と技術を要するなと思うと同時に、こういうお医者さんの姿にしっくり心がなじむのを覚えた。

 夜、三味線を習いに行く先生に一緒に連れていっていただいた。三味線の師匠の奥さんは診療所の看護婦さんで、二人の娘さんがいらっしゃる。お稽古のあとさらに呼んでいただいて、島魚のお刺身やゴーヤ、マンゴーのごちそうと泡盛をいただいた。からりと晴れた気持ちのいい心を持った二人のお嬢さんやお父さんお母さんののびのび素直な笑い話を聞きながら、心を硬くする全てを取り払ってワハハと私も笑っていた。泡盛をワハハハ→クイッ、とやっている自分にちょっと驚いた。先生の方はというと、夜でも患者さんに応えるためにと、楽しみつつもお酒を控えていらした。替わる医者がいないという責任の重みをそばで感じた。

8/19(日)

 地域医療は、そこに溶け込んで初めて見える物があると先生がおっしゃった。地域でする医療は、生活と別物ではないということなのだろう。もしくは、別物にしなかったとき、訪れる患者さんの背景を真に理解できるということなのだろう。

8/20(月)

 島の方の何人かに「台風で帰れなさそうだから西表に残ったらいいさー」と冗談で言われた。そのオープンな気風が本当に居心地良かったから、「ええ、そうします」と答えていた。が、飛行機は無事飛びそうだ。哀しいが、お別れはやはりくる。

 最後に先生の外来を少し見学させていただいて、その後図々しくも先生の弟子第1号と本の裏表紙に書いていただき、「心ある医師を目指してがんばれ!」とメッセージをいただいた。ああ、我ながら図々しい。だが、私の思い描いていたものに近い医療を目の前で見せてくださった先生に、一歩でも近づきたい気持ちになり、お願いした。

自分よ、なりたい姿に向かって、伸びていけ。

 実習前に私が言葉にできずにいた医療は、「島」の医療に限定されるものではないのかもしれない。だが、先生のされる医療の中に、まさに私が思い描いていた色や形、温度の医療を見出した。ちょうど、東京の夜空を見ていた時にはわからなかった満天の星空を、西表で見つけたように。

 実習を受け入れて下さった先生に深謝を捧げたい。一番の恩返しはまことに良医になることと信じ、やれることを一生懸命やっていこうと決意した。